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    今さら聞けない!エア・ジョーダンシリーズのバッシュ情報まとめ【シリーズ13〜15】

    2018.05.26
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    場所不明
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    こんにちは!

    シェルです!

     

    前回、「今さら聞けない!エア・ジョーダンのバッシュ情報まとめ【シリーズ10〜12】」について特集をしました。

    ということで今回も引き続き、エア・ジョーダンシリーズのバッシュ情報について特集をしていきたいと思います( ´ ▽ ` )ノ

     

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    【そもそもジョーダンって誰?】

    もしかしたら読者さんの中にも、マイケル・ジョーダンのことを知らない人もいるかもしれませんので、マイケル・ジョーダンという人物についてご紹介していきますね( ´ ▽ ` )ノ

    本名:マイケル・ジョーダン (Michael Jordan)

    【誕生日】1963年2月17日

    【出身地】アメリカ合衆国

    【身長】198cm

    【体重】99kg

    【所属】

    • シカゴ・ブルズ
    • ワシントン・ウィザーズ

    【ポジション】SG

    【背番号】23、45番

     

    マイケル・ジョーダンは電気技術者の父親と、銀行出向の母親の3男としてニューヨーク州のブルックリンで生まれました。その後ノースカロライナで幼少期を過ごし、地元の高校に進学しました。

    高校入学時はバスケットボールに入れずに挫折した経験もあったが、2年生の時に念願のチーム加入を果たしました。そこから歴史は始まりました。高校卒業にはノースカロライナ大学に進学し、NCAAトーナメントでのウィニングショットと決めるなど、1年生からその非凡なの勝負強さを発揮し、2年生の時にはチームの柱として活躍し全米ジュニア選抜にもなりました。3年次の時にはネイスミス賞とウッデン賞を受賞をし、1984年にNBAへアーリーエントリーを行い全体3位でシカゴブルズから指名を受けてNBA選手となりました。

    高校生の時には挫折を経験しながらも、それをバネに成功を収めていったマイケル・ジョーダン、果たしてマイケル・ジョーダン選手とはどんな選手なのでしょうか?

    マイケル・ジョーダン選手の記録とともに振り返ってみましょう。

     

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    マイケル・ジョーダンの記録

    • 6×NBAチャンピオン : 1991~1993, 1996~1998
    • 6×NBAファイナルMVP : 1991~1993, 1996~1998
    • 5×MVP : 1988, 1991, 1992, 1996, 1998
    • NBA最優秀守備選手賞 : 1988
    • 10×得点王 : 1987~1993, 1996~1998
    • 3×スティール王 : 1988, 1990, 1993
    • 14×NBAオールスターゲーム出場 : 1985~1993, 1996~1998, 2002, 2003
    • 3×NBAオールスターゲームMVP : 1988, 1996, 1998
    • 2×NBAスラムダンクコンテスト優勝 : 1987, 1988
    • オールNBAチーム
      • 10×1stチーム : 1987~1993, 1996~1998
      • 2ndチーム : 1985
    • NBAオールディフェンシブチーム
      • 9×1stチーム : 1988~1993, 1996~1998
    • 新人王 : 1985
    • NBAオールルーキーチーム 1stチーム : 1985
    • NBA50周年記念オールタイムチーム : 1996
    • No.23 シカゴ・ブルズ永久欠番
    • No.23 マイアミ・ヒート永久欠番
    • No.23 ノースカロライナ大学永久欠番
    • 2×USAバスケットボール男子年間最優秀選手:1983, 1984
    • NCAAチャンピオン : 1982

     

    マイケル・ジョーダンは入団時からレギュラーとなり1年目には平均得点でリーグ上位のポイントであった28.2ポイントを記録するなど周囲を大きくわかせた。そして3年目にはその才能を完全に開花させ、リーグトップの一試合平均37.1得点をたたき出し、シーズン総得点は3,000点を超えウィルト・チェンバレン以来の数字を残す偉業を成し遂げました。

    1990-91年シーズンまではボストン・セルティックス、デトロイト・ピストンズと競合になかなか勝てなく、苦戦することが多かったシカゴ・ブルズでしたがフィルジャクソンの采配とチームの成長によりこの年に初めて宿敵デトロイト・ピストンズをスイープしてNBAチャンピオンシップに駒を進めました。NBAファイナルでは当時のスーパースター、マジック・ジョンソンが率いるロサンゼルス・レイカーズとの対戦となりました。新旧スーパースター対決となったこのシリーズを、シカゴ・ブルズは4勝1敗で勝利し初優勝を果たし、マイケル・ジョーダンは初のNBAファイナルMVPを受賞しました。そしてここから伝説が幕を開けました。

    その翌年もその次の年もシカゴ・ブルズはNBAチャンピオンとなり、1960年代にボストン・セルティックス以来の「スリービート」を達成しました。マイケル・ジョーダンは「スリービート」を達成した年のオフにNBAを早期引退を表明し一旦NBAから姿を消しました。そしてそこで、昔からのもう一つの夢でもあったMLB(メジャーリーグ)に挑戦をしました。1995年にはその後NBA復帰をする形にはなりましたが、ほかの選手では考えられないような行動をマイケル・ジョーダンはしてのけました。

    1995年3月に再びシカゴ・ブルズに復帰をし、シーズン末の17試合に出場しました。プレーオフには出たものの、プレー感覚を戻し切れていなかったマイケル・ジョーダンのミスなどでチームは敗退しました。しかしその後伝説が再度現れることになりました。

    1995-96年シーズンにシカゴ・ブルズは快進撃を続け、マイケル・ジョーダン自身も8度目の得点王に輝くなど完璧なカムバックを果たし、その勢いそのままにリーグ制覇をしました。そしてマイケル・ジョーダンも再度ファイナルMVPに輝きました。そして、1996-97年シーズンにもファイナルMVPを受賞し、チームもNBA2冠を達成しました。ここまでの合計でマイケル・ジョーダンとシカゴ・ブルズのNBAの優勝回数は5回と怪物的な数をたたき出しました。

    そしてNBA前人未到の2回目の3連覇に挑んだマイケル・ジョーダンは1997-98年シーズンも決勝点のシュートを決めるなど活躍をしました。そしてブルズに6度目の優勝と2回目の「スリービート」を残し、同年のシーズン終了後であった1999年1月13日に2回目となる引退を表明しました。

    その後2001年に低迷を続けるワシントン・ウィザーズのために2度目の現役復帰を果たし、NBAオールスターにも登場するなどしました。40歳でも40得点を決めるなど、年を重ねながらもプレーをし、2003年に3度目となる引退をしました。

     

    3度の現役引退、そして2度のNBA復帰をしたマイケル・ジョーダン。皆さんはご存知でしたか?

    そんなマイケル・ジョーダンのプレーを支えてきた、バッシュについてご紹介していきますね。

     

     

    【エア・ジョーダンって何?】

    このマークを知っている人はいますか?

    もしこのマークを知っていたら、あなたはかなりエアジョーダン通ということになりますよ。

    というのも、このマークこそ、マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデル、「エアジョーダン」が出始めたときのロゴなんですよね。

    その後、ジャンプマンというこちらのロゴ↓に切り替わってしまったため、伝説のロゴとなりました。

     

    現在のNBAでは、クリス・ポール、ポール・ジョージ、ウェストブルック、レブロン・ジェームズなどなど、たくさんの選手のシグネチャーモデルが出ています。

    様々なシグネチャーモデルが排出される流れを作ったのは、マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデル、「エアジョーダン」なんですね。

    つまり、このロゴこそが、NBAの歴史を新たに作った象徴なのです。

     

    では、そんなNBAの歴史すら変えてしまった「エアジョーダン」シリーズ。

    一体どんなものがあるのでしょうか?

     

    おすすめ記事→【NBA選手名鑑】ハッピーバースデー!“バスケの神様”〜マイケル・ジョーダン〜

     

     

    【エア・ジョーダン13:AIR JORDAN XIII】

    前回に続いて13個目にご紹介する、エア・ジョーダンシリーズのバッシュは「AIR JORDAN XIII」です。

    「AIR JORDAN XIII」は、1997年に発売さればエア・ジョーダンシリーズのバッシュです。

    こちらのモデルは、黒豹をイメージして作られたアッパーと、肉球を模したソールが特徴のバッシュです。

     

    「AIR JORDAN XIII」は、マイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズ時代のラストシーズンに着用したバッシュになります。

     

     

    【エア・ジョーダン14:AIR JORDAN XIV】

    続いて14個目にご紹介する、エア・ジョーダンシリーズのバッシュは「AIR JORDAN XIV」です。

    「AIR JORDAN XIV」は、1998年に発売されたバッシュです。

    このバッシュは、マイケル・ジョーダンが当時乗っていた愛車の、フェラーリがモチーフとなっております。

    そのため、フェラーリのエンブレムを意識したジャンプマンのロゴであったり、ラジエーターのような補強プレートなど、まさにスポーツカーのようなデザインになっています。

     

    「AIR JORDAN XIV」は、マイケル・ジョーダンが6回目の優勝を獲得した、1988年のプレイオフ・ファイナルの第6戦にて着用されたバッシュです。

    この時のラストショットは、今でも伝説として語り継がれていますね。

     

     

    【エア・ジョーダン15:AIR JORDAN XV】

    続いて15個目にご紹介する、エア・ジョーダンシリーズのバッシュは「AIR JORDAN XV」です。

    「AIR JORDAN XV」は、1999年に発売されたバッシュです。

    こちらのバッシュは、マイケル・ジョーダンが2度目の引退をした時に発売されたモデルなんですね。

     

    このバッシュは、超高速爆速機「X-15」をイメージして作られたデザインになります。

    しかし、あまりに奇抜すぎるデザインだったためか、あまり売れ行きはよくなかったそうです。

     

     

    【まとめ】

    いかがでしたか?

    【そもそもジョーダンって誰?】
    【エア・ジョーダンって何?】
    【エア・ジョーダン13:AIR JORDAN XIII】
    【エア・ジョーダン14:AIR JORDAN XIV】
    【エア・ジョーダン15:AIR JORDAN XV】

    この辺りのエア・ジョーダンシリーズになると、マイケル・ジョーダンが絶頂の時の歴史が共にあるので面白いですね( ´ ▽ ` )ノ

    次回もお楽しみに!

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